義母=夫の母=ピチちゃん

介護

家族の介護って、それまでの介護する側とされる側の関係性の歴史が絡んでくるから、難しい。

舅姑の介護の距離感

ピチちゃんの認知症が進み始めた時期に、それまで嫁姑関係の私にだけしていたことを誰彼なしにするようになって、正直に言うと「ほら見ろ」って思いました。「私には嫁に来てからずっとしてたことだけどね」と何回言ったかしれません。

夜中に鍋を焦がしたり、迷子になったり、介護にも抵抗して大変な時期も結構長くて、施設の職員ぽいエプロンをしているとうまく言うことを聞いてくれることもありました。時々正気に返るので、嫁だということがわかると反抗的になって、手が付けられないことも・・・

今は認知症がすっかり進んでしまって、昔のピチちゃんとは別人なんだと思いやすい。

認知症でどうしたらいいかわからないから怒っても仕方ないし、怒るとピチちゃんが落ち着かなくなって介護する私が大変になるだけだし。だから「愛情」とか「やさしさ」ではなく、一番楽に介護できる方法を選んだ結果、ピチちゃんに怒りは感じなくなりました。

(長男の妻にあたりまえのように介護を担わせる夫や夫の弟、嫁は道具だと思っている義父には、「私の自由を返せ(# ゚Д゚)」「労働の対価をよこせ(♯ ̄0 ̄)/ 」と、今でも強い怒りを感じますが・・・)

さらにこのブログで、「義母」とか「夫の母」じゃなくて、「ピチちゃん」ということにしたら、↑のかわいいイメージになって、さらに距離をもって考えられるようになりました。

実の両親の介護の距離感

まだ、がっつり介護という感じではないけれど、実の両親も徐々に衰えてきていて。

ふと思うのは「実の両親だと感情を切り離すのが難しそうだな」ってことです。

舅姑の倍以上の時間の関係性の歴史があるし、自分自身の人格形成の過程に大きく関わっている人だから、当然なのですが。

「仕事での介護」と「家族への介護」は比べられない

仕事での介護では、介護される人と介護する人の関係は「今現在の関係性」しかないからシンプル。

家族と違って、「利用している施設の職員」という役割での関係で固定されているのもわかりやすい。

お金をもらっていても、もらっていなくても、関係性の視点からみて「仕事で介護すること」と「家族を介護すること」は全く違うよ、って話でした。

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