2013.6月 メールマガジン「風」への投稿文
私たち保健師が母子事業でよく言う言葉、乳幼児の健康を守るために、発達を促すために、情緒を安定させるために「おかあさん○○してあげて」。
ポイントがわかればうまく対応できるお母さんもいる。頭で分かっていてもできないお母さんもいる。確かに小さな子どもにとって、両親、特にお母さんの影響は大きい。
けれど、いくら子育てのアドバイスをもらってもうまくいかないことはある。そんなときは少しずつ外の力を借りていく。お母さんが「助けて」「手伝って」って言えるような助言をする。そうするうちに子供の年齢とともに、家庭と地域社会(園・学校等)の比重が変わってきて、お母さんの役割も変わってくる。そうして家庭の比重が小さくなって子供たちは自立していく。
けれど障害のある子の場合には、お母さんは子どもが何歳になっても「お母さん」。福祉分野にいた頃の私は「親が変わらなければ」という言葉聞くたびに、幾度も「お母さんはいつまでお母さんとしてこんなにたくさんのことを要求されるの?」と問いかけてきた。
もう高等部(特別支援学校の高校にあたる課程)に入ったら、変わるのはお母さんじゃないでしょ・・・って思う。身体障害の子は体も大きくなって親だけでは介護が大変になるし、知的障害の子も思春期特有の課題を乗り越えるのは家庭だけでは難しい。お母さんが変わるとしたら「子供を手放して親自身の人生を歩いていくこと」それだけだと思う。子育てよりも子離れが難しいというのは、自分自身の「できなさ」の実感としてもよくわかる。
小仲先生の「母の逝った日、父の逝った日は二人の終わりの日であるとともに私(自身)の始まりの日でもある。」の言葉と同じく、「この人は、両親亡き後に初めて自分の人生を生き始めたのだなあ・・」と思う障害のある人に実際何人も出会った。
一時的に精神的に不安定になるけれど、最終的には親がいた時よりも穏やかになる。そして、親の目を気にせず自分の人生を生き始める。
- それまでは攻撃的だったのに穏やかに隣近所の人との付き合いができるようになった
- 50代にして初めて1人で買い物に行った方。節約に目覚めて家計をきっちり管理し始めた
- 自分で通所先を選ぶようになった
- 主治医にしっかり自分の言葉で話せるようになった方
リスクもあるし失敗もするけれど、それぞれの人生を楽しんでいる。
障害のある人だからと言って「何歳まで親に責任を負わせるのか」。
責任を負わせられるのであれば、親は今まで以上に(大人になった)子どもの人生を縛り続けることになるだろう。親自身の人生も縛られることになる。
がんじがらめに縛られた関係はどちらにとっても幸せではないし、その人自身にとって「親が全責任を負っているうちは、まだ成人としての自分の人生を生き始めていないのではないか」そんなふうに感じてしまう。
自民党の憲法改正草案では、24条に「家族は、互いに助け合わなければならない」という条文が追加されています。家族が助け合うなんてことは憲法で縛られてすることではないのにと、とても気味悪く感じます。地域社会が無縁化していく中で、家族の縛りだけを強くしていくことは虐待や家庭内の暴力のリスクを高くしているだけのように思えてならないのですが。
※ 2013.5月末に執筆し、メルマガに投稿した文章です

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