「蕎麦屋」中島みゆき|わかんない奴もいるさ

読書日記

この「蕎麦屋」が収録されているアルバムは「生きていてもいいですか」という、ちょっとドキッとする題名です。

この問いかけに、収録されている曲、ひとつひとつが答えています。

わかんない奴もいるだろうけど、お前には価値があるよ

サビというようなフレーズがないというか、全体がサビみたいな曲なのですが、

風はのれんをばたばたなかせてラジオは知ったかぶりの大相撲中継
あいつの失敗話にけらけら笑って丼につかまりながら、おまえ
あのね、わかんない奴もいるさって あのね、わかんない奴もいるさって
あんまり突然云うから 泣きたくなるんだ

中島みゆき「蕎麦屋」1980.04.05

アルバム名の「生きていてもいいですか」に対して、

わかんない奴もいるさ(でも、お前は十分価値があるよ)」と答えている曲です。

周りがみんな偉く思えて、自分だけが取り残されているような気持になることは、誰でもあるもの。

世界じゅうがだれもかも偉い奴に思えてきて
まるで自分ひとりだけがいらないような気がする時
突然おまえから電話がくる 突然おまえから電話がくる
あのぅ、そばでもくわないかあ、ってね

中島みゆき「蕎麦屋」1980.04.05

そんなとき、そばでもくわないか」って、さりげなく誘ってくれる友達のやさしさと、その友達との関係性が、噓をついて断るのが「なんだかみたい」なほど近しいことで、この曲は成立しています。

べつに今さらおまえの顔見てそばなど食っても仕方がないんだけれど
居留守つかうのもなんだかみたいでなんのかんのと割り箸を折っている

中島みゆき「蕎麦屋」1980.04.05

そして、「わかんない人もいるさ」ってやさしい言葉に、わたしが不覚にも悔し涙を流してしまうと、おまえは丼に顔をつっこんで涙に気づかないふりをしてくれる。

くやし涙を流しながらあたしたぬきうどんを食べている
おまえは丼に顔つっこんでおまえは丼に顔つっこんで
駄洒落話をせっせと咲かせる

中島みゆき「蕎麦屋」1980.04.05

モノより人間が小さい世界観

この曲の歌詞の特徴は、モノと人間の大きさや重さの比率が現実とは異なっていることです。

次のように、あえて、モノよりも、自分(達)のことを小さくみせる演出がされています。

  • 蕎麦の丼は人間よりしっかり固定されている、もしくは大きい
  • 蕎麦屋ののれんは風にあおられてバタバタないて存在を主張
  • ラジオは知ったかぶりをして大相撲を中継

まるで、人間が振り落とされないように大きなどんぶりにつかまっているような印象を受ける「丼につかまりながら、おまえ」というフレーズが、この曲の世界観と相まって、妙にしっくりきます。

とにかく、周りに隙を見せないことに終始していて、自己暗示で支えられているという「May be」(1990.11.16)で歌われた痛々しい「わたし」に比べると、恵まれているなって思います。

あたしは人間関係というよりは自分の能力や才能の有無、それが認められないことについて悩むことができているのですから。

1980年当時は、私はまだ小学生だったはずなので、多分リアルタイムで「蕎麦屋」を聞いてはいませんが、中学生になってから聴き始めた「中島みゆきのオールナイトニッポン」で、時々、流れていたのを覚えています。

フクシマ原発事故のあとの2012年、斉藤和義がカバーした「蕎麦屋」を聞いて、「ああ、こんな曲があったな」と思い出し、妙に心にしみてしまいました。

「蕎麦屋」はこちらのアルバムに収録されています。



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