「僕たちの将来」中島みゆき|不穏な世界と日常の境目で

読書日記

日常生活の中で、ミサイルの閃光が飛び交う時代へ向かうことへの不安を押し殺すような、ちょっと不気味な感じのする曲です。

閃光(ひかり)の中の将来

この歌の中で、「僕たちの将来」を形容する表現は、「めくるめく閃光(ひかり)」です。

僕たちの将来はめくるめく閃光(ひかり)の中
僕たちの将来は良くなってゆく筈だね

中島みゆき「僕たちの将来」1984.10.24

ひかりに「閃光」って漢字をあてている時点で、かなり不穏。

そして、「良くなっていく筈だね」と何かに言い聞かせるように繰り返し、曲の最後では「良くなっていくだろうか」と不安をにじませ、その言葉と共に不気味なカウントダウンが刻まれる。

このように、1984年時点、この曲では、僕たちの将来は、決して「良く」なってはいかないことが暗示されているのです。

1980年代の時代背景

僕たちの将来は」が制作されたのは1984年、イラン・イラク戦争の只中。

アメリカ(西側諸国)とソビエト連邦(東側諸国)の冷戦の末期です。

「西側」とか「東側」という表現が、ヨーロッパにとっての位置関係であることからも分かるとおり、ヨーロッパ諸国やアメリカにとっては「冷たい戦争」であっても、代理戦争が行われた「暑い国」にとっては、ミサイルが飛び交う過酷な時代でした。

青の濃すぎるTVの中では
まことしやかに暑い国の戦争が語られる
僕は 見知らぬ海の向こうの話よりも
この切れないステーキに腹を立てる

中島みゆき「僕たちの将来」1984.10.24

そういう意味では、現在のロシア・ウクライナ戦争とは対極的といえるかもしれません。

この曲がつくられた後、日本は、後にバブル経済と呼ばれる、円高と好景気に沸きたちます。多分、この彼女と彼は、バブルの真っただ中で20代を過ごす。

バブル狂乱の中で、遠い「暑い国の戦争」も、不気味なミサイル発射のカウントダウンも、意識の下にしまい込まれてしまったと推測できます。

不穏な世界情勢と日常の境目

不安を押し殺して、蓋をしているから、「あたしたち多分、大丈夫よね」と聞かれた彼は、ギョッとしてしまい「大丈夫じゃない訳って何さ」と力んで答えてしまいます。

あたしたち多分 大丈夫よね
フォークにスパゲティを巻きつけながら彼女は訊く
大丈夫じゃない訳って何さ
ナイフに急に力を入れて彼はことばを切る

中島みゆき「僕たちの将来」1984.10.24

ここで、着目したいのが、彼が「何が大丈夫なのか」を問い返すのではなく、

大丈夫じゃない訳」を問い詰めていることです。

つまり、「何に大丈夫かどうかという不安を感じているのか」については、暗黙の了解があるということになります。

漠然とした不安を意識下で共有しながらも、

日常生活では、「危い言葉をビールで飲み込ん」で、

まるでタブーでもあるかのように、その不安については触れないようにしながらやり過ごしている。

でも、そうして見ないふりをしているうちにも、悲劇へのカウントダウンは、6から始まり、発射直前の2まで刻まれていく。

というのが、この曲が描いている風景です。

「危ない言葉」を飲み込まなければ違ったのか?

何年に作られた曲なのかを調べていて、中学から高校にかけてラジオで聞いていたことを改めて思い出しました。

夜更かしして、母によく怒られていたころです。

40年が経過した「僕たちの将来」は、多くの戦争や紛争、災害、チェルノブイリとフクシマの原発事故を経て、ここまで来ました。

気候危機の深刻さも深まるばかりで、もう、危ない言葉を飲み込んでやり過ごすことはできないところまで来ていると感じます。

「僕たちの将来」はこちらのアルバムに収録されています。



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