「May be」中島みゆき|バブル崩壊の兆しの中で

読書日記

バブル崩壊が始まったのは、私が大学3年生のとき。

前の部屋のお姉さんからもらったばかりのテレビで、10月1日の株価大暴落のニュースを見たことを、よく覚えています。

このころリアルタイムで「May be」を聞いていました。バブル経済の崩壊と重なる時期に作られているということも、この曲の本質をよく表していると思います。

夢見る若さの内面は

CMでも使われていたサビの後半の部分だけ聴くと、夢を実現するために都会でがんばる前向きな女性のイメージをもちます。

Maybe 夢見れば Maybe 人生は
Maybe つらい思いが多くなるけれど
Maybe 夢見ずに Maybe いられない
Maybe もしかしたら

中島みゆき「May Be」1990.11.16

「若いっていいな」「夢を持つって素晴らしい」みたいな理解もできるかもしれません。

でも、曲の終盤でこの女性は、すすり泣くようにして「なんでもないわ私は大丈夫なんでもないわ私は傷つかない」と自己暗示をかけ、

そして、もう一度、高らかに夢を追いかけるサビを歌い上げるのです。

ここでは、バブル崩壊以降、

どれだけ多くの人が漠然とした不安に蓋をして、今に至っているか

について読み解いていきたいと思います。

バブル崩壊

バブル経済の崩壊は突然起きたわけではなく、その前から株価が暴落するなどの予兆がありました。

また、湾岸戦争前の中東情勢の悪化による原油高騰など、世界経済も不穏な動きを見せ始めていた時期でもあります。

つまり、この曲がつくられたころには、すでに社会全体が、

増大する不安に目をつぶり、無理をして、なんとかバブルの狂乱に酔い続けようとしていたのだといえます。

自分の傷から目をそらす

夢を追いかけるサビの後半とは裏腹に、サビの前半で、この女性は、危ういほど「大丈夫」「隙がない」「傷つかない」と、自分自身に言い聞かせ続けています。

私は唇かみしめて胸をそらして歩いてゆく
なんでもないわ私は大丈夫どこにも隙がない
なんでもないわ私は大丈夫なんでもないわどこにも隙がない

中島みゆき「May Be」1990.11.16

感情的な顔にならないで誰にも弱味を知られないで
なんでもないわ私は大丈夫私は傷つかない
なんでもないわ私は大丈夫なんでもないわ私は傷つかない

中島みゆき「May Be」1990.11.16

そして、彼女は、「パウダールームの自己暗示」で辛うじて自分を保っていることを告白します。

 思い出なんか何ひとつ私を助けちゃくれないわ
 私をいつも守ってくれるのはパウダールームの自己暗示

中島みゆき「May Be」1990.11.16

現実から目をそらし、バブルの狂乱を続けようとする世の中で、彼女もまた、自分の負の気持ちに蓋をすることで夢を追いかけ続けることを自分に強いている。

弱気になった人たちは強いビル風に飛ばされる

中島みゆき「May Be」1990.11.16

自分の感情に向き合ってしまったら、都会の風にあおられて、脱落してしまうから。

そんな、姿が浮かび上がってきます。

存在すること自体の息苦しさ

1985年に男女雇用機会均等法が制定されたとはいえ、あの頃はまだ、妊婦さんの前でも平気でタバコを吸い、女性がお茶くみをするのが当たり前という時代でした。

男性優位の序列はもちろん、セクハラやパワハラも日常茶飯事。

(今も、さほど良くなっているとは思いませんが・・)

そんな中で、夢を実現しようと思ったら、この歌の女性のように、

唇かみしめて自分の「負の気持ち」に蓋をしなければやっていけなかったのかもしれません。

彼女が望む「もしかしたら」は何なのか

ここで、彼女の夢見ずにいられない「もしかしたら」は、本当に彼女が主体的につかむ夢を指しているのか、という疑問が生じます。

なぜなら、彼女の自己暗示は、「感情的な顔にならないで」「誰にも弱味を知られないで」、「隙がない」「傷つかない」ようにする。「大丈夫」以外は全て対人関係上の暗示なんです。

「私にはできる」とか「能力がある」ではなく、「隙がない」「傷つかない」という自己暗示。

なかなかに、辛い状況だなと思います。

自己暗示なんかかけなくても、自分に嘘をつかずに、のびのびと力を発揮できるようになること

そんな状態が、彼女が夢見る「もしかしたら」だったのではないかなと思います。

私の生まれ年、1969年の学年は、高卒で就職した人はバブル真っ只中で就職し、大学に行った人はバブル崩壊と微妙に交差する時期に就職しています。

つまり、滑り込みでなんとか就職できたけれど、就職したときは既に好景気は終わっているという世代です。

就職前には、ベルリンの壁が壊され、ソ連が崩壊し、世界が大きく変わっていくことを実感しました。

でも、私たちは、不安に蓋をして、周りを見回しながら、旧態依然のものたちと歩調を合わせることに汲々としてきた。

もしも日本が、バブル崩壊のとき、蓋をせずに仕切り直していたら、もう少しまともな国になっていたのかもしれないと。

蓋をして押し込められた現実は、絡み合ってどんどんグロテスクになってしまっているけれど、

この現実を打破するには、勇気を出して蓋を開け、灯りをかざしてみるしかないのではないかと思います。

「May be」は、こちらのアルバムに収録されています。



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